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するめらいふ

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どんどんやる気がわく時間に対しての考え方

最近仕事にも慣れ頭の中がだれてる感じがするので、自分にカツを入れる意味で時間をテーマにつらつらと。

 

時間は無限にあるという錯覚

 

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自分に残された時間が有限だと意識しながら生きている人は少ないと思う。

確かに時計はスタートもゴールもなく、手入れをすれば永遠に回り続ける。

けれども人生には始めと終わりがあり、同じところをぐるぐると回り続けている訳にはいかない。

 

お金のように銀行通帳ならぬ時間通帳があったら、大抵の人はただなんとなく毎日を過ごしたりはしないだろう。

時間通帳の数字の動きは、無職の時の貯金の動き方に似ている。

減る一方で、増えることはないのだ。

通帳を見るたびに時間は有限のものだということが目に見える形で迫ってくる。

 

学生時代にアルバイトを辞めて3ヶ月次の仕事につかなかったことがあるが、通帳を見るたびに貯金額が減っていって不安が膨らんでいった。

その時は実家を頼れば生きていくことはできたけど、自分の時間となるとだれも頼ることはできない。

 

時間が減っていくのを目の当たりにするのは、恐怖だと感じるだろう。

しかし満足した人生を送る上では、もしかしたら自分に残された時間を知らぬまま、なんとなく日常を過ごしている方が、危機的状況かもしれない。

 

あと10年でこの世からいなくなると考える

結局、「自分はまだ当分死なない」という考えがあるからやる気が出ずに時間を浪費してしまうんだと思う。

 

そこで効果的なのは、自分の寿命を10年と勝手に決めてしまうのだ。

10年で長いと感じれば、5年でも1年でも半年でもいい。

決めた寿命を自分に言い聞かせていると段々切羽詰まってきて「これじゃダメだ!〇〇しなきゃ!」というやり残していることが思い浮かんでくる。

 

中学生の頃は根拠もなく「私は20歳で死ぬ」と思っていた。

まあ、その時の環境が自宅も学校もつらいものだったので希望的観測も入り混じっていたのだが。

その時のエネルギーと言ったらすごかった。

普通日常がつらかったらやる気も元気も減っていく気がするが、「どうせ20歳までならやりたいことはやっておこう」と様々なことに手を出していた。

 

終わりが見えてくると、ラストスパートをかけたくなるものなのかもしれない。

 

寿命を実感できればただ過ぎていく日々を脱するのはもう簡単。

次の休日に思い浮かんだやり残したことを実行するのみ。

それが休日まるまる使わなくても、案外短時間で始められるものなら、何も休日まで待たなくてもいい。

今日始めてしまおう!

 

一度始めてしまえば、中断してもまた気軽に再開することができる。

今日始めてしまおう!